2013年4月23日火曜日

【「杏まつり」「田尻町」のこぼれ話】


「たじり杏まつり」に行ってきました。(の続き)



※以下の内容は、2012年に発行していたメルマガの一部です。
以前のメルマガは、廃刊としましたので、
このたび、
ブログでご紹介させて頂く事と致しました。


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(以前の記事)

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「たじり杏まつり」に行ってきました。

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▼「たじり杏まつり」に行ってきました。(の続き)


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実は、私が、今回(2012年)、
この「杏まつり」に参加しようと思ったのは、
ある方との出会いが、きっかけとなりました。

その方は、地元、田尻町の方で、
たまたま、「杏まつり」が話題になったので、
いろいろと、
地元の話を聞く機会があったのです。



ウメの仲間★

杏は、ウメ・スモモ・モモ・サクランボの仲間です。

毎年、新年を迎え、ウメが咲き始めると、
次は、です。

杏が終わると、サクラが咲きます。

今年の田尻の杏は、寒波の影響でしょうか、
「杏まつり」の日には、まだつぼみでした。

当日も、気温が非常に低く、風も非常に強かったです。

あまりにも風が強すぎて、
よちよち歩きの子どもさんが、

強風に煽られて転倒する!!

という事件まで発生しました。

私も、「寒い」という情報は聞いていましたので、
すこし厚着をしていきましたが、

防寒が足りませんでした。


★田尻の杏の由来★

田尻で杏が栽培されるようになったのは、

天和元年(1681年)九州の豊後国(今の大分県)、
阿じゃり尊意(あじゃりそんい)というお坊さんが、
杏の種を田尻の円明寺へ持ち込み、
境内に植えたのが始まりと言われています。

杏は、
花もとてもきれいで、
実も、健康に大変によいので、
次第に、村内に植える人が増えてきました。


★田尻は福山でも、温暖な地域★

(地元の方のお話)

田尻で、杏を栽培するようになると、
お隣の「水呑町」でも、
杏の栽培を試みる方がおられたそうです。

しかし、
水呑町(村)と田尻町(村)は、
三分坂(さんぶんざか)という峠で隔てられています。

※三分坂(さんぶんざか)

水呑から、鞆街道(県道22号)を鞆方面に進み、
緩やかな三分坂を登り切れば、

そこからが田尻です。

田尻は、水呑より、
少しだけ南に位置し、

しかも、
沼隈半島の東側に位置して、
海からの南東の温暖な海風が直接吹き付ける地域です。

三分坂の上(かみ)の水呑町は、
峠に遮られて、
温暖な風がやや弱まるそうです。

それが原因で、

田尻町では、
杏がすくすく育つのに、

水呑町では、
杏が育たないのだそうです。

これも、
田尻の杏の種が、
豊後国からもたらされた子孫だからでしょう。




(ふくやまひろし)

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