WEBを上手に使い、効果的にPRが進んでいるようです。
しかし、私的には、大変に、残念に思えてなりません。
当初、このキャンペーンの振りが、WEBで公開された時、多くの閲覧者は、WEBのアドレスである‘oc-h’を見て、これが「おしい」の元だと思ったと思います。
まさか、「おしい」を「惜しい」とは思わなかったと思います。
何故なら、「惜しい」は、残念ながら、ネガティブな印象をぬぐいきれず、広島県が「惜しい」という展開は、やはり、広島県をネガティブな方向へもっていくことになりかねないと感じたからだと思います。
だから、3月27日の発表まで、どういう展開を見せるのか、興味津々に、見守っていました。
しかし案の定と言うか、残念ながらと言うか、「おしい」は「惜しい」でした。
確かに、ものは考えようですから、いろんな解釈があっていいでしょう。
「『惜しい』も、ええじゃん」、と言われれば、「それもそうかもね・・」とも思います。
しかし、「それもそうかもね」が「それでえんかいな?」に変わるのに、時間はかかりませんでした。
そういう経緯もあって、ふくやまを見つめ直してみようと思い始めました。
そんな中で、千載一遇のチャンスが訪れたのです。
皆さんもご存知の、「崖の上のポニョ」です。
これが、ふくやまの鞆の浦が‘舞台か?’
という話題が、全国的に盛り上がったのです。
私は「これでようやく『ふくやま』『鞆の浦』も、有名になるにちがいない。観光客も増えるにちがいない。」と思いました。
しかし実際には、宮崎駿監督自身は、「舞台」という言葉は、私が調べた限りでは、使ったことはないようです。
ふくやま市民(私も含め)の思いからすると、
宮崎監督に、鞆の浦がポニョの舞台だと「言ってほしい」、舞台で「あってほしい」
と思うのは、自然の感情でしょう。
しかし、ではなぜ宮崎駿監督は「舞台」と言わなかったのでしょうか?
いろいろと、当時の報道をネットで調べ直してみると、
鞆の浦には、「架橋問題」が背景にあり、
福山市も、宮崎監督も、
「舞台」という言葉を使わなかったと考えられています。
アバウトですが、これが事実なのです。
なのに、なぜ広島県は、「国民的アニメの舞台となったとも言われている・・・・」と、
言葉を濁すのでしょうか?
それは、大衆受けする「舞台」という言葉にとらわれて、真実を表現する勇気がなかったのでしょうか?
それとも、きちんと真実を追求する手間を惜しんだのでしょうか?
私は、この件について、広島県の担当者に
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